スキューバダイバーが海中で咥える、ホース伝いにタンクの空気を吸うためのあの道具は、「レギュレーター」という。タンクに入ってる空気は高圧なので、人体に適した圧力までレギュレートしてくれるというわけだ。え、せっかく「水中で空気吸えるよ!」という唯一無二この上ない機能の器械なのに、名前そこから取っちゃったら他と被るじゃん……?と思った。今でも思っている。
まず、普通に陸上で、普段と同じ格好で、レギュレーターから空気を吸う。なんだか、小さい頃病院で似た状態を経験したような……。あとから母に確認すると、小児喘息の治療だった。あのときは空気に薬品独特の匂いがついていて、なぜか結構好きだった。今回は無臭だ。
次にプールで実技の講習をする。陸上で吸ったときはレギュレーターについて何とも思わなかったけど、いくら足のつく浅さだって、初めての水中呼吸は猜疑心から始まる。こんな単純な装置で、本当に水中で呼吸できるのか? 否応なしに講習は進む。黒いゴムの噛み口を咥える。軽くかがんで、頭のてっぺんが水面に残る程度まで沈む。反射的に、呼吸を止める。インストラクターから、息を吐け、とボディランゲージで指示される。硬い器具の中に呼気を吐く。うん、何も咥えていないときと同じ感覚で吐ける。1秒くらいの間にぱっとそんなことを確認し、やれやれと思った途端、今度は、吸え、と指示される。
口の中だけで吸ってみる。こういう、「肺に入れないタバコの吸い方」があるって、以前どこかで聞いたな。舌と下顎を引き下げるように、ほんの少しだけ口内を広げてみると、互いに様子を伺うような一瞬の間のあと、ためらいがちに、しかし素早く空気が入ってきた。
心底驚いた。
驚きに任せて、それを体内へ迎えることにした。口の奥へ、喉の中へ、肺へ。なあんだ、いつもと変わらないじゃない!と、空気の方が先にこの状況を攻略したように感じた。その安堵感が血管から身体中に染み渡ったとき、必要以上の警戒が我ながら馬鹿馬鹿しくなって、軽い溜め息が出た。そうしたら再度、吸う。もう陸上での呼吸と変わらない。ほんの2、3呼吸で、先程までの猜疑心はくるっと掌を返し、レギュレーターへの感動と信頼に変わった。
日を変えて、海での実技講習。縁からぽちゃんとすぐ行けるプールとは異なり、浜で器材を背負い、波打ち際を歩いて行かなければ水に入れない。初めてわかる、総重量30kg近くある器材の忌々しさ。今度はダイビングスーツと、浮力調整ジャケットを疑うことになった。浮力確保? こんな装備で浮けるのか? 足が海底につかなくなり、反射的に、足をばたつかせる。インストラクターが足を止めろという。仕方なく止めてみる。……沈まない。
再び、心底驚いた。
海底にへばりついて這うだけでやっとの、赤子のようなダイブを数十回経て、あれこれ頭を悩ませずとも意思した通り動けるようになった。
必要に応じて浮力調整ジャケットを操作すれば、あとはそこにいるだけで良かった。
陸上であんなに窮屈で息苦しく感じたダイビングスーツも、ごつごつじゃらじゃらと鬱陶しかった器材も、海の中では溶けてなくなったように、身一つで浮いていると感じた。レギュレーターは呼吸器そのものになった。
体に触れるものは何もなかった。
つまるところ、スキューバダイビングというのは、上達すればするほど、ただ呼吸しているだけで済むのだった。
受け入れるまでには時間が掛かった。
バタバタと、あらゆる箇所を点検した。空気タンクの残量は充分か? 足ヒレは緩んでいまいか? 今、何メートルの深さにいる? 他のメンバーはどこにいる? ここにいても誰かの邪魔にならないだろうか?
落ち着きがなかった。落ち着くことができなかった。落ち着いてはいけない、と思っていた。
そのうち、そうしたことも無意識の延長になり、ついに、ああ、自分自身が落ち着くことを拒否しているのだ、という発見に至った。
非情な天啓だった。
だって、陸上では、24時間365日休むことなくそうして過ごしてきたのだ。
問題を見つけて、世話を焼きたかった。その問題は、焦ることができればできるほど良かった。
他者から不快に思われ、蔑まれるでも良い。誰かが困って、手伝いを求めているでも良い。自分自身が誤りや過ちを犯し、周囲に迷惑をかけるでも良い。とにかく世話を焼くための問題がなければならなかった。
そうした時間の使い方しかしたことがないのだ。
焦りたいのだ。焦燥、パニック、罪悪感、そうした不安定さの中にいたことしかないのだ。
不安こそが、寄る辺なのだ。
なのに、なのに、こんなのじゃわからない。このままでは、なくなってしまう。
「私」がなくなってしまう。
どうか、不安を寄越してくれ。不安定を寄越してくれ。
そして、「私」を規定してくれ!
海は、応えてくれなかった。
あらゆる不安と不安定を、「私」から排除してしまった。ダイブ回数を重ねるほど、点検すべきことが何もなくなっていった。空虚だった。
だけど本当は、同時に、この空虚の正しさに気づく自分もいた。
二つの思考が代わり番こに出てきた。
嫌だ。やるべきことをくれ。問題をくれ。焦りをくれ。それを四苦八苦して解決させてくれ。自分がなくなってしまう。虚しい。消えたくない。変わりたくないよ。
いや、違う。本来は空虚なんだ。こんなに安らぎを許されているのに、焦りたくて不安になりたくて苦しむのは、そういう生き方しか知らなかったせい。自分の意志じゃないんだ。捨てて良かったんだ。
そして、二つの思考は停戦した。
ああ、そうだ。お前は空虚なのだ。今更鎖を解かれて自由へ放たれたところで、意志なんか起こらないのだから。幻覚にしがみついていたんだよ。諦めて捨てるしかない。ここからは、何のささえもつかえもなしだ。
降参することにした。空虚で、浅薄で、何一つ持たない空っぽのこの身を、投げ出すことにした。
情けなく、耐え難い羞恥だった。
しがみついていたものが消えたから、手も足も、漂うに任せるしかない。
諦めて、ただ浮いている。
適切な浮力を保つため、深く、深く、ゆっくり、呼吸をして。
海の中では、呼吸を意識的に行わなくてはならない。
空気を肺に入れて、肺から空気を出す。
3秒くらいで吸って、4秒くらいで吐く。
レギュレーターから出ていくたくさんの呼気の、ぼこぼこぼこぼこぼこぼこ、と泡になる音だけが聞こえる。
吸う……1、2、3……肺が伸びる……普段、全然使ってやってなかったんだな……
吐く……1、2、3、4……ぼこぼこぼこぼこぼこぼこ……穏やかな水の中に包まれていることを実感する、心地の良い音……
うつ伏せが基本姿勢となるダイビングだが、くるっと反転して仰向けになってみる。
5メートル程度の深さであれば、海の中にいても、太陽は陸上で見るのと変わらず眩しい。水に入っていくつもの歪んだ欠片に分割された陽光が、個々の姿を絶えず変えながらひしめき合っている。
世界で一番眩しいくせに、当の本人は我関せず、ただはしゃぎたいからはしゃいでいるだけ、のように見える。ありがたい距離だ。
その白い光の中を、呼気の泡が上がっていく。
きらきらと反射しながら素直に水面を目指す、大小様々くっついた泡。
こんな自分から出てきたとはおよそ思えないほど、とても綺麗だ。
ここでは、呼吸に、音と形がついていた。
私がここにいることの、音と形だった。
何もせず、何も考えず、ただここにいるだけのことを、海は許してくれた。
自然の生き物とは面白いもので、最初こそ人間の動きに反応して隠れてしまうものの、岩になったつもりでじっとしていると、なんだ岩か、という顔になり、こちらを完全無視して思うままに動き始める。
そんな彼らを見ると、逆に、そう、いて良いんだね?と了承を得た気になる。
優しさや包容力ではない、むしろ淡白で距離がある了承。
だけど、対等な了承。
身の周りを点検して必死に問題を探さなくても、ここにいることができる。
ああ、レギュレーターを失えば数分で死んでしまう状況なのに。四方に何の寄る辺もなく、あまりにも無防備な格好なのに。
なのに、陸上で知ることのなかったこんなに自然な呼吸を、している。
ずっとそうしていると、スーツや器材だけでなく、身体そのものも溶けていくように感じる。
見渡す限り永遠に青の続くこの空間で、どこまでが自分で、どこからが海水なのか。
ゆっくり、ゆっくり、規則正しい呼吸をするうちに、どのくらいの時間そうしているのかもわからなくなる。
今、潜り始めて何分経ったろう。
今、何時だろう。
今、いつだろう。
本当はとても長い時間、この穏やかな水の中で、何の焦りも不安も覚えず、安らかに息をしてきたのかもしれない。
それは何分、何時間、いや何日? 何年?
身体と混じり合って、時間も海へと溶けていく。過去も現在も未来も、全てが一つになり、この空間を満たしている。この海の中には意識だけが漂っている。私はずっとここにいたのではないか? こうやって遥かなときを、ずっと静かに過ごしてきたのではないか?
でも、じゃあ、今まで「私」だと思っていたあの子は誰なんだろう。自我の確立する前から焦燥感だけに規定されて、何の中身も得られないまま、ただ目の前だけを見て生き延びるしかなかったあの子は、誰?
誰、と問うほど遠くにいるのではない。あの子は、今ここにいる。
あの子を救いたかった。今ここにいるあの子、君、君のことを、ずっとずっと救いたかったんだよ。
ただ呼吸をしているだけで良いんだ、と伝えたかったんだよ。
落ち着くことを怖がらないで。
君が問題を求めるから、問題を起こしてしまう。
そんな必要ない。
どうか、気づいて、受け入れてほしい。
君の呼吸にも、こんな風に音と形をつけてあげたかったんだよ。不安にしがみついて確かめなくたって、君の呼吸は確かにここにあるんだよ。
何もせず、何も考えず、何にも規定されない君の呼吸にこそ、音と形は宿るんだよ。
私は、いつになったら君に伝えられるのだろう。
いつ、は絶対に来ない。あの子は私だ。私はあの子だ。こんなところで過去の自分に邂逅してしまったって、タイムマシンでも発明しない限り、伝えに、救いに行けるわけがないじゃないか?
だったら、せめて謝りたい。助けてあげられなくて、ごめんね。
気づかなくてごめん。
君はここにいるのに。
君が溶けていく。
君の時間と、私の時間が、一つになる。
一つの呼気が上っていく。
だけど、わかっている。
もしも今、君に会って伝えることができたところで、君はすぐには理解できないし、受け入れられない。
いつか、海の中で呼吸ができる装備を手に入れて、何度も何度も焦ろうとしてして、次第に焦るべきことが何もなくなってしまうまで。
それは生まれてから数十年、果てしなく遠い未来の話だ。
静かな呼吸だけをして過ごしてきた遥かなときを経る前の、果てしなく遠い過去の話。
果てしない、今の話。
君はいつかここへ辿り着く。そうして私になるのだ。
それまで、ここでずっと待ってる。
そのまま意識を失うことができたら、どんなにか優しい眠りに就けたろうに、インストラクターの合図によって、時間と身体は海から分離される。
渋々、水面へと向かう。
身体が完全に水から上がったところで、レギュレーターを外す。
器材が重さを取り戻し、下方へぐんと力がかかる。
陸上の呼吸が始まる。さっそく、他のメンバーとの会話の中で、新しい規定が生まれる。望むと望まざるとにかかわらず。
でも、もう、私は規定の外にいる。
もう大丈夫だよ、と伝えてみる。
もう、自分でレギュレートできるんだよ。
焦燥感も罪悪感も捨ててしまったんだよ。
呼吸をするたび、ぼこぼこと泡が上るような気がする。
君よ。いつか、また会おうね。