やあ!
きみはどこから来たんだい? トップページかな?
であれば、似たようなタイトルの記事が2つ並んでいるのをきっと目にしたことだろう。
タイトルが似てるからって、中身も似てるとは限らない。あっちは長いし重いんだ。そりゃそうだ、あっちは愚痴だからさ! 愚痴って長くて重いものだろう?
でもね、こっちはごくごく軽うい笑い話だよ! だって、大して深刻に考えちゃいないんだもの。わかる人だけわかって、面白がってくれれば良いんだ。
良かったら聞いてってよ。
小さい頃に「ああいう人たち」と違ったかもな、って思い当たることとして覚えてるのは、集中できるものとできないものの差がものすごく大きかったってこと。
例えばね、お絵描きと読書が大好きだったんだけど(今も大好き!)、想像してみてよ。10歳前後の子供が2時間、3時間、ずーっと描いたり読んだりしてるわけ! それでご飯の時間になってもやめられないから、お母さんが怒って本を取り上げるよね。そうするとこの世の終わりのような気分になって、泣き叫んで暴れ回って、それはもう酷い時間が始まるんだ。
それから工作も大好きで、誰にも気づかれないような細かい細かいところまでこだわって、気が済むまで5回でも10回でも手を加え続けたなあ。
かと思えば、興味の持てないことには、たとい人前でだって取り組む“フリ”すらできないんだ。
静かに座って何かをする系統のとある習い事をしていたんだけど、ちっとも楽しくなかったの。それで人に話しかけたり違うことを始めたりしちゃって、あまりに落ち着きがなくて他の生徒に迷惑だからって、怒り心頭の先生に「クビ」を宣告されたことがある。そのときのことはあまり覚えていないけど、お母さんが申し訳ながってそのまま辞めたんだったかなあ?
学校の集会で、校長先生の話が長すぎてじっとしていられなくなって、さすがに歩き回ったりはしなかったけど――ちょっと知恵をつけた年頃だったからね――、その場でガサゴソ動いてしまったんだよね。それで担任に注意されたこともあるんだよ。
他にはね、小さい頃から遅刻魔だった。言い訳できる立場じゃないけど、どうして遅刻しちゃうのか自分でもわからないんだ。朝起きるのが苦手だったのもあるけど、誰がどう見たって時間に余裕があるときも、まるでお化けに引っ張られてるみたいにゆらゆらと遅刻へ向かうんだよ。
今も治っていないから、誰かと待ち合わせるときは、前の日の夜に自分と作戦会議するんだ。良いかい、遅刻お化けに負けるんじゃないぞ!ってね。
もう少し大きくなったらね、中学生とか高校生とかになるでしょ。これが結構大変だった!
なんだか「ああいう人たち」はみんな、誰かと誰かの人間関係についておしゃべりするのが大好きみたいなんだけど、全然覚えられないからさ、その場凌ぎで必死に知ったかぶりをするんだ。
内容によってはひそひそ声でおしゃべりしなきゃいけなかったり、この人の前ではこう言うべきだけどあの人の前ではこう言っちゃいけないよ、なんていう場面ごとの暗黙の了解もあったりしたらしいのが、ちっともわからなくて白い目で見られちゃった。
「ああいう人たち」は言うことがころころ変わるから、一体この間のあの言葉は何だったの?なんて頭の中がはてなマークでいっぱいになることもしょっちゅう。嘘をつかれても気がつけないし、ジョークを飛ばされても笑いどころがわからないし。
そんな風に、周りの「ああいう」友達との会話が突然、まるで心理戦みたいになった(うーん、あの子たちは本当に「友達」だったのかなあ……?)。
またもうちょっと大きくなって、大学のサークル活動や会社の仕事を担当し始める。「ああいう人たち」と、業務に関するお話をするようになるよね。みんなは大した言葉数もなく、「明日大丈夫だよね」「あの件済んでるよね」なんて阿吽の呼吸で通じ合っているんだ。まるでテレパシー! でもそんなの真似できないから、「明日の何のお話してるの?」「それってどの件で、何について聞きたいの?」って、全部聞かなくちゃわからない。
新しいことを覚えるときにも、「ああいう」みんなは一つ一つ言われたことをどんどん覚えていくんだけど、そんな風にはできないんだ。まず一番大きな箱を示してもらって、次に二番めに大きな箱、三番め、四番め……それで今、きみの取り組もうとしている業務はここに当たるんだよ、って順番に説明してもらわなくちゃわからない。それに聞いても忘れちゃうから、どんなに小さなことでも、ほんとは全部メモしておきたいの。だけど、みんなとは別に説明してほしい、特別に時間を取ってほしいなんてお願いは、いつもいつもできるものじゃないだろ? だからどうにかごまかそうとして、うまくいかなくて迷惑をかけるんだよ。
なかなか骨の折れる作業だよね、「ああいう人たち」と関わるのは!
そうそう、「ああいう」――好きなことでも時間が来たらやめることができて、嫌いなことでもやっている“フリ”をすることができて、遅刻お化けが憑いていなくて、ひそひそ話のコツを知っている心理戦のプロで、テレパシーで仕事をこなせる――「人たち」のこと、「健常者」っていうんだって!
ふうん、やっぱり名前がつくほど特別な人たちなんだね。だってそうだろ、特別にすごいものには名前がつくだろ?
さっき言った健常者のすごいところ、どれも全部すごいんだけど、やっぱり一番は心理戦とテレパシーのことかな。
健常者は、おしゃべりのコツを何でも知ってるんだ。
すごいことがあったんだよ。
会社でね、3人でおしゃべりしてたんだ。一番長く生きてる少しえらい人と、二番めに長く生きてる、といってもそんなに歳の変わらない先輩と。おしゃべりのテーマは、世の中がデジタル化して書類が紙面から電子ファイルになって、みんながハンコを使わなくなってきたこと。
えらい人が言ったんだ。「こんなに紙も印鑑もなくしちゃって、そのうち絶対、本人確認の事故が起こるよなあ」って。
でも、会社で使っているハンコはほとんどシャチハタだった。それで思ったんだ。一体この人は、シャチハタの何にそんなに信頼を預けてるんだろう? 書類の保管だって、データの方がよっぽど安全じゃないか。けれど思ったことを素直に口に出したら健常者はびっくりしちゃう、ってこのときもう知っていたから(賢いでしょ!)、黙って頷いたんだ。
そしたらね、先輩がこう返したの。「タブレットに押印しますかwww」
売れっ子の芸人かと思った! どうしてそんな素敵な返しができるの? えらい人をびっくりさせずに、かといって一緒になってデジタル文化の悪口を言うこともなく、笑わせて収めるなんて。
そういう体験を、たくさんしてきたんだ。
何が言いたいのか理解できなくて、何て言ってほしいのか、何て言ったら良いかわからなくてただ同調していたら、健常者が一瞬でうまいことを思いついて、みんなが楽しい気分になる。
一体どこで習ったんだろう?
ううん、もしかしたら、健常者はみんな透明な受信機を持ってるのかもしれない! その受信機は、人が言った言葉じゃなくて、心の奥で本当に伝えたがっていることや、欲しがっているものを、ピピピって受信するんだ。
だから健常者には、見えないものを読み取ることができるんだね。
……でも、どうして心を言葉にしないんだろう? 初めからそうやって隠さなければ、透明な受信機なんかいらないのに。
本当の心も隠すし、受信機も透明にして見えなくするなんて、健常者じゃない人には何にも見つけられないじゃないか。だから嘘に気づけなかったり、ジョークがわからなかったりしちゃうんだよ。自分たちがわざわざ見えなくしているくせにさ、見えないものを読み取る力がないだなんて、こっちのせいにしないでほしいなあ!
だってね、ときどき、健常者のその見えない受信が実はうまくいってないことがあるんだよ。きみがやると思ってたのに! いや、きみの方こそ請け負ってたじゃないか! あれは別の話で……。こんな調子。だからね、いくらすごい受信機だって、どうやら完璧じゃないみたい。
そりゃそうだよ。だって透明なんだもの! どこにも何も残らないし、誰かが答え合わせしてくれるわけでもないんでしょ?
そんなとき、「何のお話してるの?」ってはっきり尋ねて、聞いたことを忘れないうちに何でもかんでもメモするっていう作戦がね、すごく役に立つんだ! いつもは健常者とおしゃべりする自分のための作戦だけど、こういうときは自分だけじゃなくて、健常者自身の役にも立つんだよ。
なら、最初から見えなくしなければ良いのにね。健常者ってすごいけど、難しい生き方が好きなんだな。
健常者にはさ、逆にめんどうくさいのかもしれないよね。透明な受信機を持っていない人とおしゃべりするのが。テレパシーに慣れてしまったら、その方がラクなんだろうな。
ねえ、きみはどう感じた? 健常者が羨ましいかい? もし健常者になって透明な受信機をもらえるとしたら、きみは喜ぶかい?
ちょっと想像してみようか……そうだなあ……あんまり嬉しくないかも。だって、受信機のいらない、見えて残るおしゃべりの方が、難しくないしあとから便利だもの。それにお絵描きも読書も、とっても楽しいんだ! まるで別の世界を旅してるみたいになれる。あんなの、時計の針に合わせていきなりやめろだなんていう方が横暴だよ。そう思わない?
嫌なことは“フリ”でもしたくない。そしたら、嫌に思ってることが伝わらないじゃない。誰かと誰かの人間関係も全然面白くないもん、覚える気にならないよ。
自分がやっていることがどの大きさの箱の中にあるか知っているのだって、良いことだ。そうすると、他の作業を覚えるときにはもっとずっと早くて簡単になるから。
(だけど、遅刻お化けとだけは戦わなくちゃね……遅刻お化けのことは嫌いなんだ。ここは健常者と一緒でしょ……)
羨ましくはないけど、知っておく必要はあるよね。健常者は時計と仲良しなこと、健常者はテレパシーを使うこと。その力が自分にはないこと。知っておくだけで、もしも健常者の中に放り込まれたとき、怯えずに堂々と作戦を立てられるだろう?
ああ、手がかかるなあ! 健常者ってすごいけど、素直じゃないからちょっと困るや。
たまには、どうしてこっちばかり作戦を立てなくちゃいけないの?って悔しく思うときもある。だけどしょうがないから下手に出て、健常者に合わせてあげるんだ。素直じゃなくて、めんどうくさがりなのに時間を忘れることができないなんて、気難しすぎてこっちが優しくなるしかないからさ。どうだい、大人でしょ?
実はね、お母さんも健常者じゃないんだ。でもお母さんが小学生や中学生や高校生や大学生や会社員だったときは、「ああいう人たち」にまだ名前がついていなかったみたい。だから透明な受信機のことも知らなくて、自分と「ああいう人たち」との違いがわからなくて、この人たち手がかかるなって気づいても、作戦を立てれば良いかもって思い浮かばなかったんじゃないかな。
こうして健常者を観察して見つけたことや考えたこと、お母さんには教えてあげていないから――他の誰にも教えてあげていないよ。きみにだけ特別に教えてあげるんだから! 内緒だよ――今でも健常者のことをよく知らないかもしれない。健常者と自分との違いをわかっていないかもしれない。でも、時計と仲良しだったりテレパシーを使えたりする人たちがいるのを知らないせいで、お母さんはときどき嫌なことに巻き込まれちゃうんだ。やっぱり作戦が大事だってことさ。
さて、聞いてくれてありがとう! とっても楽しい時間だったよ。きみも楽しんでくれたかな。
ほらね、どこも深刻じゃなかったろ? これはほんとに軽くて面白い考え事なんだ。
タイトルの似たあっちにはね、ずいぶん悩まされているのだけれど。
次はどこへ行くんだい? トップページに戻るのかな? どこへ行くにしても、せっかくだから今日のおしゃべりをきっと覚えておいでよ! 軽うい笑い話だったけど、ちょっとは役に立てるはずさ。
じゃあ、またね!