音楽との出会い方を考える

 2021/09/17   

 音楽を聞くのが好き。音楽シーンに詳しくなりたいわけじゃないから、このジャンルは習慣的に新譜聞き比べてる~みたいな情熱はないけど、音源を全部持ってるくらい好きなミュージシャンが何組かいて、彼らの曲なら取捨選択せず全部聞くので、新譜のたび必然的に、いわゆる性癖に刺さる供給を得ることができている。それから、彼らがリスペクトしてるアーティストを調べて視聴してみることで他の音楽を知ったり。あとは、ミュージシャンまるごと好きというレベルではないがこの曲は単体で好き、というのがたくさんある。まあ普通に好き、というくらい。
 こういうふわっとした需要を自力で満たせるまでになるのは、私にとって、なかなか困難だった。その時々の気分で聞きたいジャンルって変わるから、いろんなタイプの音楽の中から自分の好みに合うものを見つけたいけども、以前はそもそもその「いろんな」タイプが見えておらず、この世に自分の好きになれる音楽は存在しないんじゃないかという危惧すら抱いていた。かと言って片っ端から消し込んでいこうとすれば、世界中に溢れ返った音楽の全てを聞いてその中からビビっと来たのを拾い上げていくことになり、そんな作業は当然不可能である。できる限り自分の好みの音楽にラクして出会いたい。わざわざ音楽を探すぞって気合い入れて行かなくても、普段の生活を送っているだけで自然と耳に入って、それが「今あなたが聞くべきはこの曲ですよー!!」なんて押しつけがましくない、一目惚れならぬ一耳惚れしちゃうような魅力的な音楽で、聞いた瞬間に思わず曲名検索で詳細を調べちゃうような、そんな出会いが欲しい。日常的にフォーリンラブしたい。音楽と。
 なんていうのは、フォーリンラブできなかった状況を経験しているからだ。これから始める昔話は少数派の意見で、世間の大多数は私とほぼ真反対の音楽的志向を持ってるであろうことは自覚している。それにこれは特定のミュージシャンに対する否定でも批判でもなく、個人的な挫折とその後の体験談だ。

 最初に、幼稚園や小学校で習うお歌の他に音楽という文化があるのを認識したのは、多分小学校低学年のときだった。1990年代後半。友人が、当時流行していた(そして現代でもご健在の)アイドルグループの「しんぐる」を買ったのだ。私は親に「しんぐる」とは何か尋ね、テレビで流れているような曲はCDとして売られていること、シングルとアルバムの形式があること、などを知った。知ったところで、「あのアニメのオープニング曲は実は1番しか使われてなくて、2番とかを聞きたかったら『しんぐる』を買えば良いんだ!」程度の認識だったと思う。とは言え知ったら知ったで多少の関心は向くので、金曜の夜にいろんなミュージシャンが階段から降りてくるタイプの音楽番組の存在なんかを認知するようにはなった。そう、音楽はテレビで流れているものだった。テレビで流れていない音楽は、存在していなかった。
 そして、周囲の友人に誰かしら好きなミュージシャンがいることもわかった。こうなると、私にも欲しかった。「好きなミュージシャン」が。でもね……テレビに出てる有名なミュージシャンの楽曲で、これと言って好きになれるものがなかった。あれだけ評価されてる’90年代J-POPなのに、何一つ。正確には、全部ひっくるめて同一の方向性であるように感じ、その唯一の方向性がまるごと自分の好みと合わなかったために、フォーリンラブチャンスが全滅した、という感覚でいる。その方向性っていうのは、恋愛って素晴らしい。失恋ってつらい。努力って素晴らしい。どんな困難も諦めなければきっと乗り越えられる。夢は叶う。あなたには価値がある。そういう感じ。何も歌詞だけの話じゃなくて、曲調や演出もね。何年か前に、ドリ●ムアレルギーという概念が生まれた。当該ミュージシャンには何の恨みもないが、便利なので使わせてほしい。当時の私はJ-POP全般に対してドリカ●アレルギーを発症していた。20年近くを経てもあの虚無感に名前がついたのは嬉しい。でも、なんかみんな良いって言ってる。そうかなあ。そうなんだろうなあ。頑張って聞いてたら好きになるかなあ。だけど、早くも私は気づいてしまった。何度聞いても好きにならない曲はある。たくさんある。なのに音楽番組に出てくる音楽もテレビCMに出てくる音楽も恋!努力!希望!って方向性で被ってるものだから、テレビ以外に音楽との繋がりを持たない私は手詰まりになってしまった。じゃあそんなに有名じゃないミュージシャンまで手を広げてみようと、好きなアニメの主題歌から、テレビ露出は少ないながらもそのミュージシャンの他の楽曲を彼らの公式サイトの試聴コーナーで聞いてみたりもしたが、主題歌以外には興味が持てなかった。こうなると小学生にはお手上げである。他に知恵がない。
 お門違いの被害者ムーブなんだけどさ、音楽の入手源がテレビしかなく、そのテレビからの音楽が恋!努力!希望!しかなく、私がそれらの概念に対し極端なアレルギー体質だった、で三拍子揃って、「今あなたが聞くべきはこの曲ですよー!!」っていう押しつけがましさを覚えてしまったのよな。明るいことは良いことだ!肯定しろ!肯定しろ!と。誰もそこまで言ってないという。
 ただここから何もなかったわけでなく、ちょうどこの辺りで自室用のラジオを入手した。両手に収まるくらいの小さなもので、カセットテープの再生などは一切できない、本当にシンプルなラジオ。ラジオはすごかった! 恋でも努力でも希望でもない、いろんな音楽が流れてくる。しかもしょっちゅう。打ち出の小槌を手に入れたと思った。小さなフォーリンラブが生み出されていった。部屋にいる間はラジオをつけっぱなしにして、ただ生活しているだけで様々な音楽が耳に入る空間を生成した。気に入った音楽は曲名とミュージシャンをメモした。ラジオで音楽に出会う生活は、その後15年ほど続いていく(が、ラジオ本体が壊れちゃったのと、その後継を求めたラジオ聴取用スマホアプリの使い勝手が微妙だったのとで、名残惜しいながらもフェードアウトしちゃった)。こうして好きな曲は爆増した。それはそれとして、「好きなミュージシャン」は持てずじまいだった。
 そのまま数年経ち、中学校に上がった。2000年代半ば。年齢的な関係もあり、「好きなミュージシャン」コンプレックスは悪化した。なまじ知恵がついたもので、学内の吹奏楽団が演奏していたクラシックや演劇好きの友人から聞きかじったミュージカル音楽など、J-POP以外にも出会い厨をかました。でもクラシックの良さがわかるほど精神的に穏やかではなく、ミュージカルを無垢に楽しむには雑念の多いお年頃だった。そしてJ-POPに関しては、数年そこらでは音楽シーンが変化していなかったのである。ラジオを通じて1曲だけ知ったミュージシャンのアルバムをレンタルして聞き漁ったりしたが、上述のアニメ主題歌パターンの二の舞だった。当時レンタルして中身をコピーしたいろんなミュージシャンのアルバムは、まだデータを取ってあるので今でもたまに聞き返すが、未だに興味が持てない。たかだかローティーンの物量とはいえ、親がくれた小遣いを実験めいた買い物に使ってもったいなかったな……。何でもかんでも住めば都、聞けばスルメ曲と挑んでいた時期がありました。気のせいだったね。

 しかし、ある日突然光明が差した。好きだったアニメについて検索し、感想や考察を読み漁っている中で、MADというファンアートがあることを知り、とあるMADに使われていた音楽に一耳惚れしたのだ。それは高音が透き通るようによく伸びる美しい男性ボーカルと、自分の居場所が見つからず漠然とした孤独に襲われる苦しみを描いた歌詞が特徴の、演奏がめちゃめちゃうまい5人組ロックバンド。もう解散しちゃった。彼らが、私の人生最初の、好きなミュージシャンになった。コンプレックス解消のためにとりあえず身につけてみた「好きなミュージシャン」というアクセサリーでなく、数あるMADの中でも偶然それを見掛けていなければ起こり得なかった奇跡、正真正銘のフォーリンラブだった。今でもずっと好き。アニメの二次創作が、私にとって人生に大きな影響をもたらす出会いをくれた! こんなルートがあったとは。それ以来、好きな漫画やアニメやゲームのMADから音楽に出会うというルートが確立された。今もそのルートで新しい音楽に出会い続けてる。ダウナーミュージックいっぱいあるんじゃーん! しかもやっぱり同じコンテンツを好きな者同士感性が似ているようで、MADに使用されてる楽曲、ハマる確率が高い高い。みんな良い曲いっぱい知ってるね……。で雰囲気が似てる曲は関連するクリエイターが同一人物だったりして、ここで一気に好きなミュージシャンが増えた。私の音楽、ここにあったんだわ。
 のち、2000年代後半から2010年代半ばのこと、テレビの音楽は恋!努力!希望!に握手券!が加わった時代になっていたので、それまでのアレルギーについて、あっこういうことだったのか、と良くない納得をするようになってた。押しつけがましく感じてたのだって、気のせいじゃなかったんじゃないか、と。音楽が二分されてるように感じていた。民放テレビのCMやドラマや音楽番組で採用されている音楽と、ネットで感性の似た人たちが間接的に紹介してくれる音楽。ラジオはその中間にあって、どちらの音楽も連れてくる。私はテレビの音楽から離れ、ラジオとネットに耳を傾けた。そして自分の嗜好が許されたことで音楽そのものへの信頼が育まれるにつれ、私がアレルギーを発症していた’90年代にもたくさん良い音楽があったのを知っていった。メディア露出は多くなかったけど固いファンがついてて、YouTubeのコメント欄では老若男女が思い思いに個人の回想を交えつつ賞賛しているような、一見するとイロモノっぽいけど堅実な芸術性が確立されてるようなタイプのミュージシャンたち。ああ、これらを知る術は当時存在しなかったけど……リアルタイムでなくとも、出会えて良かった。

 ずっとこんな感じかなと思っていたが、2010年代後半から、大分様子が変わったようだ。テレビから聞こえてくる音楽にアレルギーが出ない。どれも良い。恋や努力や希望を押しつけてこない。ちゃんと歌も演奏もうまい。語弊たっぷり五平餅な書き方をしてしまうが、音楽に中身が入った……!と感動した。何様って言ってくれ。自分でも思ってる。でもそう感じたんだよ。みんなが好きだからと言っても自分は別に好きでもない食べ物を、ほらほらおいしいよって無理くり口に突っ込まれるみたいな腹立たしさがなくなって、個々人の細かな感性や、絶望や疲労や閉塞感、怒り、それらを踏まえた上での様々な意味での救済などなどが、そこここに置いてあって、さあどうぞどれでもお好きなものをと差し出してもらってるような気分になった。ネットの音楽だ、と思った。時代の変化に伴って音楽に込められたメッセージが変わりつつあったのが、配信サービスの充実やSNSの普及によってネットの音楽がテレビに出てきた流れと合体したんじゃないかな、と理解している。お陰で、民放テレビのCMやドラマの主題歌で知った曲を気に入って、そこからミュージシャンごと好きになることも少なからず出てきた。今現在2021年のJ-POP、何聞いても良い! かつてあんなにアレルギーだった自分が嘘みたい。それだけ方向性が変わったのだ。まあ若年層が愛(恋)・努力・希望を信頼できなくなったと考えたらこれは国として衰退なんだけど、少なくとも音楽の方向性が広まったことで生きやすくなった人間がここに一人います✋
 こうなった今、私は音楽に出会うルートを区別しなくなった。音楽は二分されなくなった。生きているだけで自動的にいろんなタイプの曲に出会えて、もはや聞き込みたい曲が多すぎて手元の音楽メモの整理が追いつかないほど。とっても嬉しい。どんな気分でいようとも、何かしら知っている音楽が絶対に寄り添ってくれる。一耳惚れが日常に定着して、しょっちゅうフォーリンラブしている。

 現在の私の音楽生活は実に豊かだ。ありがたいね……。ないないと探し回らなくてもきちんと自分に合うものが存在してるというのは、大袈裟かもしれないけど、生きる上でとても心強い。多くの人は一般に自身が10代や20代の頃に聞いてた音楽を史上最高だったと回顧する傾向があるそうだけど(要出典)、私の音楽人生は10代より今の方が圧倒的に充実してる。例外的なパターンかな。でも、この経験談は一定の層に共感してもらえると自負してる。余所じゃ話せないけどね。’90年代J-POP、人権だからね。

-好きなもの


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