あいつら生物としての格が違えわ! 見た目同じでも比にならねえ高等種族だぜ! 筆者ちゃん参っちゃったよオイ!
周囲に引っ越し好きの人々がいる。そろそろ新しいところに住みたくなったから、引っ越すのだそうだ。
……!? 意味わかんない……どういうことなの……? 元々住んでたところに対する愛着とかないのか。安全地帯と思わないの? お城と思わないの? 秘密基地と思わないの? 引越し先の間取りによっては持ち物減らさなきゃいけないけど、悲しくないの?
いや、これらは非定型発達の傾向のうち、個人的に特に強く出ている特徴である、環境変化が苦手・所有物に対する執着のせいだとしよう。にしてもよ、一般にはそういう異常な執着心を勘定としないのだとしてもよ、きみが今住んでるそこ、そこに落ち着くまで実務的に結構大変だったんじゃないのか。
住みたい地域と間取りがざっくりあって、その条件に合う物件を複数抽出するじゃん。どこなら家賃が払い続けられそうか検討する(さすがにみんな賃貸ですよね…? 持ち家で引っ越すとか意味わからんぞ)。治安は大丈夫か調べる。食料品と日用品の買い物の手段を検討する。これは自分が散歩がてら買い物に行くのが好きなのでこだわりたいのだが、みんなはもう全部ネット通販かもね。
物件決めたら、不動産屋で何かしら手続きする。ここは引越し経験なさすぎて具体的にはわからん。大家と取り交わすべき契約書を不動産経由でやり取りするような感じか? この段階で住民票の移行もするのかな? 電気ガス水道ネットの契約っていつするの?
まあきっと書類上の移動が何やかんやあって、いよいよ物理的に移動するのかな。今住んでる家の一切合財を荷造りする。そりゃあもう一切合財でしょ。今せっかく定位置決まってる調理器具とか衣類とか、全部取り出して段ボール。で十数万とか数十万とかかけて業者を手配する。自力で頑張る人もいるっぽい。そしてまた移住先でそれらを荷ほどきする。新たな定位置を考える。定位置の検討と毎日の家事導線の確立まで何ヶ月かかかるでしょ。
最後に……最後なのか? わからんが、元の家の電気ガス水道ネットを解約するの?
ダメだ雰囲気で喋ってる。いや雰囲気とは言え、元の住居の喪失と、膨大で煩雑な思考が必要になることは間違ってないだろう。
うわあああ怖い! 想像しただけで身の毛がよだつ途方もない作業量!! ま・じ・で、意味わからん。なんで好きこのんでそんな修行僧みたいなことすんの? それらを差し引いてもそろそろ新しいところに住みたくなる心理、何? 強すぎる。何もかもTUEEE。怖い。
「そろそろ新しいところに住む」ことで得られるものって何なんだろう。安住の地と確立された生活導線をかなぐり捨ててまで得る価値のあるものなのだろうか。ググったら「体力と財力のあるうちに、興味のある土地に住んでみたかった」とか「持ち物が増えすぎたり部屋の設備が壊れたりすると、片付けなり修理なりするくらいなら引っ越してしまおう!と思う」とか出てきた。えぇ…。なんて未来志向なんだ。
引っ越した後って、以前住んでいた地域のことを露ほども思い出さなかったりするのかな? 思い出すこともあるのなら、それってどの程度の思い出し方なんだろう? あ~そんな時期もあったな、って程度なら特に負担もなく良いのかもしれない。だけど、通い慣れてた店が今どうなってるかネットで調べたりしたら、そして往々にして閉店していたり、現地へ見に行ってみれば店舗単位どころか地区単位で全然違う姿になっていたりしたら? そういうのって「喪失」なんだよね、個人的には。喪失は心にとんでもない負担がかかる。だから、私の場合、大切な場所を増やしたくないという気持ちもある。持ってなければ失くさないじゃん。
大切なものって、少なければ少ないほど良くないですか? もし先に述べたような事務手続き方面の作業を誰かに丸投げできてフラットになったとしても、この思想と、引っ越しを繰り返すことの性質は、致命的に噛み合わない。
長年付き合ってた恋人と別れて、さくっと次に行ける人々がいる。
念の為付記するが、いわゆる尻軽ではない。真逆の、誠実で知性ある人々。7~10年付き合ってた恋人と、いろいろな理由で破局。振る側だった人も、振られる側だった人もいる。
わー無理無理無理! 振られた人やモラハラ的理由がある人は本人の意思じゃないから別の話として、相手に何の問題もないのに振る人!! 強すぎか!!
いや恋愛については、先述の執着傾向に加えて、愛着障害の方の見捨てられ不安がダイレクトに影響して試し行動とかしてたから、こっちの感性が100破綻してるのはわかってるんだけど、にしてもよ。
個人的な依存体質の特徴をできる限り排除して想像してみても、長年付き合ってた相手って、最初はどちらかの中学生みたいな片思いから始まって、徐々に両思いになってくっついて、数年はアホみたいな鬱陶しい初々しい熱愛期間を過ごしてから、徐々に生活の一部になってるもんじゃないのかな。毎日習慣的に連絡を取るものじゃないのだろうか。おはようとかおかえりとか、実際に同居していようがいまいが、さもそうであるかのようなレベルで電話なりメッセージなりし合うんじゃないか? 数えきれないほど何度も一緒にご飯を食べるんじゃないのか。どこかへ旅行したくなったら自然と一緒に行く前提になるし、もし一緒に行けなかったら相手の好きなものを思い出しながらおみやげを選ぶもんじゃないのか。
そういう相手、あまつさえ自分のことを愛して大事に扱ってくれる相手とのつながりを自ら断ち切るってのは、一体どういう心理なんだろう。経験がないから全くわからない。推測する糸口もつかめない。個別具体の例については原因ないし理由を聞いたので知っている(マンネリ化とか)が、そういうことじゃない。切っ掛けに過ぎない。根本的な心の作りの部分について知りたいのだ。生活スタイルをまるごと変えるのと同じ感覚じゃないですか? それって負荷のかなり高い作業じゃないのか。それとも、上の引っ越しの例と同じで、負荷よりも気分一新の方が優先されるのだろうか。
あ、逆にその程度なのかな? 気分一新って感じ? 自分が依存体質だったからわからないだけで、本来は恋愛って気分でしても良いものなのかもしれないね。個人的には精神の根元的な部分まで電流通されるような人生の主軸に当たる部分のジャンルなんですけど、そういうのって恋愛ガチ勢だけなのかもしれないね。彼らは恋愛ガチ勢じゃないのかもしれないね。恋愛エンジョイ勢なのかな。
エンジョイ勢の方がモテますよね。周囲にモテまくってる恋愛エンジョイ勢いません? で長年付き合ってた恋人と別れて、しばらくさくさくと何人かに出会って、その後交際3年も経ずにさっくり結婚してたりしません?? 周囲に3,4例はあるんですけどこれ嫉妬ですか? 嫉妬のカビ臭さのせいでこんなに事例を寄りつかせちゃってるんですかねー私?
この、何事もなかったかのように次へ行くっていうのも何なんだろう。我々の年齢であれば人生の1/4にも及ぶであろう年数、ずーーーーっとつないでいた、元恋人のものとは違う人間に手を握られる違和感、虚しくなかったのかな。気持ち悪くなかったのかな? 全てにおいて比較してしまわないのだろうか。近場でデートしようと思ったら大体行ったことある場所で、あー被ってんな……あのときはこういうルートで回ったな……って思い出すことないのかな。
同じことするなら、元の相手で良くない?
──というのは振られる側に100%傾いた暴論ですけど。
なぜか周囲、振る側のタイプが圧倒的に多いので、こちらとしては振られた相手のその後が気になって気になってしょうがない。きっと君たちはその後何年もせずに結婚するつもりだったのじゃないか。こんな非健常者に心配されるまでもなくみんな各自の人生を全うしてるだろうけども、どうかどうか幸せでいてほしいと願わずにおれない。
愛がないわけではない。軽薄なわけでもない。風通しが良いお陰で湿気が溜まらず、いつもからっと乾いている。だから自分の幸せと周囲の存在の間にきっちり境界線を引ける。時には自分の幸せのために他者が一時的に傷つくことの責任を引き受けることができる。
一見わかりづらいけど、境界線を引くというのは切り捨てることではなく、却って責任を引き受けることなのだと、今は理解している。だって、惰性でダラダラと飽きた環境にいることでその風が止んでしまい、湿度を上げて自分を腐らせ、それが周囲の人々をも傷めていくことを、彼らは直感的に知っているから。そして、他者は自分で幸せになる力を持っていることを知っているから。仮令変わりゆく景況に巻き込まれて商いを畳まざるを得なかった人でも、生涯を捧げる予定だった相手が突如去ったことで半身を引きちぎられたような苦痛に喘いでいる人でも。
相手は自分じゃないから、自分がいなくても大丈夫。自分は相手じゃないから、相手がいなくても大丈夫。たったこれだけのこと。相手の、自分の、底力を信じる行為、それが境界線を引くこと。
そういう無意識の信頼に基づいた軽やかさ、しなやかさ。
心境や環境の変化に合わせて、しなやかに――冷めた言い方だけど、持ち物を取捨選択することができる。粛々と地均しすることができる。ああ、書いていて悲しくなってきた……私は自分のことを、いつも取捨選択される対象としか考えていなかった。気づいてやれず申し訳ない。もとい、軽薄ではなく軽やか、気分屋ではなくしなやか。ここのバランスを自然に取ることができるのが彼らだなあと思う。
……いやムズくね!? どっちかに振り切る方がよっぽど簡単でしょ。何じゃバランスって。
だからやっぱ、高等種族だと思ってしまうわけだ。
てことで、そもそも同じ土俵で戦える相手じゃねえんだって! あんなの比較基準にして人生の中身測るなんて発想から破綻してるよ! チートよチート! 筆者のことは今後ダンゴ虫だと思ってほしい!
もうダンゴ虫にしなやかさを求めないでください! ハイ! 以上解散!
全っ然違う文脈だけど、10年以上前に友達が掛けてくれた言葉を思い出した。「終わりを見据えて始める人はいない」って。しなやかな人々、まさにそんな気がする。終わりが来る(というか自ら終える)のはわかってるけど、あえて思考停止できるんだな。必要以上の悲観はただやる気を削ぐだけなので。
でもそれって、一旦何らかの「終わり」を経験してしまったら考えがひっくり返るようなことはないのかな。怖くて、「終わり」への心理的な保険なしにはもう「始め」られなくないですか。引っ越しや恋愛に限らず。自ら終えることだけしていたら、別にコントロールの範疇だから怖くも何ともないのかな。
なんかしなやかすぎてわかんないね。フェットチーネグミくらいしなやかだと思う彼ら。食べちゃうか。