題名ほど深刻じゃないです😏
なのでカテゴリもメンタルヘルスでなくただの雑感で。
5年くらい前から、同年代の友人知人が次々と結婚している。筆者、そういうお年頃なので。その後、夫婦円満なまま子供を持つ組がある。夫婦不仲なのに子供を持つ組もある。夫婦円満なまま子供を持たない組もある。夫婦不仲だし子供も持たない組もある。夫婦不仲でそのまま離婚した組もある。番外編で、結婚直前で破局したカップルもある。全パターンある。しかも観測範囲内では、どれかのパターンに偏ることなく、ほぼ全部複数組ずつある。
こういうの見てたらだらだら考え事しちゃうじゃないですか。別に人生の棚卸し的な真面目な動機じゃなくてもさ。多分、受験生が受験校選ぶときと同じ感じなんだよな。就活生が会社選ぶときとか。そういう年次になってしまったので、やる気は全然ないけどせっかくだしいろいろ見てみるか。と。そして特に何が残るわけでもないと。
10代後半くらいまでは、何の疑問もなく将来は結婚して子供を持つもんだと思ってた。けど、あれは刷り込みだったから頭で考えた末の選択では全くなかった。ゼクシィが「結婚しなくても幸せになれるこの時代」って言ってたのが2017年だそう。2017年以降に生まれた人々はどんな結婚観を持ってるんだろう。まだ5歳とかだな。わからんな。
今のところ、結婚したいともしたくないとも思ってない。“無”。これは一番には機能不全家庭の問題がある。
家庭ってもんに対するイメージが最悪という原因はわかりやすい。
以前、毒親持ち仲間の友人が「結婚は交際の上位互換だから願望はもちろんある」というようなことを言っていた(その子は無事にその後結婚した🎉)。そのときは確かに~!って思ったけど、家帰ってから、ん、「確かに」?となった。うちの両親の場合は著しく不仲で喧嘩が絶えなくて、原因は100%父親にあるにも関わらず母親がダブスタで、子供には毎日愚痴を吹き込むくせに子供が父親に反発すると諫めに来る上、対外的には父親の顔を立てるよう説いてきたという……あっしまった! 親を糾弾する記事にしたいわけじゃないのよ。えー、そうそう。そういう背景があるので、果たしてほんとに結婚は交際の上位互換か?と疑問を持ったのだった。
友人のこの発言には感謝してる。このとき初めて、確かに結婚は交際の上位互換だと思ってる自分と、いや少なくとも我が家は違わない?と思ってる自分が同時に存在してることに気づいたから。心がふたつある~。で考えた結果、一般的にはそうであろうと個人的には違うなあと落ち着いた。個人的な目標は、恋人または配偶者と、仲良しでいることだ。しょ、小一の学級目標かーい。でもステータスは問題じゃないのよ。両親のようにはなりたくないから。ステータスのために不満を溜めながら信頼できない相手と一緒にいるなんて、生まれ落ちる先としてわざわざあの家をあてがわれた学びがないじゃないか。
ここ2年くらいでやっと家庭に対するイメージの歪みが治ってきたけども、一方で問題の根深さに呆れてもいる。一人の脳みそで解決できる問題じゃないっすね。家系の因果というか。ええと、余所様のブログでわかりやすい記事があった→あなたに届けたい❗ 軽やかな人生を歩むのためのヒント&ご自愛メソッド>アダルトチルドレンとしての世代連鎖。つまり、イメージが良くなった程度で負の連鎖を断ち切れる気がしない。いざその場になったら染みついた呪いが出てくるだろう。
だけど、こんな姿勢だと結婚は一生しそうにないよねえ。一般的な結婚の目的として、既婚ステータスそれ自体っていうのも充分にあるわけだから。手段の目的化ですが。信頼できる交際相手にプロポーズする、のは当然結婚しようと思ってなくちゃできないし。じゃあ交際相手からプロポーズされる、というのが考えられる可能性だけども、そこに至るまでには水面下で非常に能動的な囲い込みをしてきたという既婚友人らの話を多く聞くし。さり気なく結婚願望を匂わせたり、両親への紹介を求めたり。それは結婚しようと思ってなきゃできない動きだよね……。どっちかやらなきゃ結婚の機会が来ないというなら、一生来んじゃろ。一生独身よ。
もし両親の仲が良い家庭で育ってたら、結婚したいと思ったかなあ? これを設問にすると、逆に健全家庭育ちだけど独身貫いてる人の意見に寄ることになるのか。結婚って得るものだけじゃない、失うものもある。そ、その通りだなあ……。何とも言えない。ということはつまり、少なくとも全面的に結婚したい!とはならなかったかもしれない。半々だ。半々となると消去法になっちゃう。結婚するのとしないのと、どっちが後悔するのかなあ。最近の世にも奇妙な物語でそういうのあったわ。
仮に結婚してもしうまくいかなかった場合、先述の離婚組のようにさくっと終わりにしてしまえれば良いのだけど、多分無理なんだよな。だって母さんの子ですもの。血は争えない。意志の力なんか幼少期の刷り込みに勝てるもんじゃない。資産が10億くらいあったらやっと考えられるかもしれん。カネの問題じゃないけどね。そのくらいカネができたら新たな価値観で悟りモードに入るんじゃないかな、とか。いずれにしろ、離婚するには自己肯定感が必要なのだ。そんなの結婚したことなくてもわかる。根元的な自信が必要なんだよ。それは後天的には手に入らんのよな。
そうすると、結婚しなければ離婚について悩むこともなし! 解決!となってしまう。おっ、得意の白黒思考だな!? 反出生主義の主張の借用だけども、結婚生活を始めなければ、結婚生活の幸福を享受できない反面結婚生活の不幸を味わうこともないんだよね。どーーーーしても思考が、いや思想と言っても良い、思想がそっちに傾いてしまう……。結婚はする側に理由はないのだ、しない側に理由があるのだ、という発見がここで生きてくる。我ながら良い持論を確立しました。
ということで、フラットに想像してみても結婚願望は半分程度だろうか。
が、もう一つ考えなくてはならないことがある。家庭のイメージといういわば心の傷だけでなく、これに付随して、長期的な人生設計をする機能が培われなかったという能力的な問題もあるのだ。結婚について考える脳みその部位がないと思ってください。能力が必要なんよ、人生設計には! そのための機能が必要なの! 知ってた!?😠 “無”に関してはこっちの長期的視座の欠如の方が原因のようで、イメージが良くなっても意欲はZERO。まあ機能がなきゃどうしょもねえな。羽根がないのに飛び方考えてるのと一緒だな。
機能欠如とか書いても非当事者には伝わらんのよな、どう説明したらわかるんだろ……とググってたら余所様のわかりやすい記事を見つけた→ACと共依存のピアカウンセリング>時間の感覚がない 人生設計ができない。上で貼った記事といい、わかりやすい文章書けるのって才能よな。私には無理だ。小っ恥ずかしさもある。科学的にウラを取ってないのに断言して良いのかっていう無駄な正義感もある。話題の性質上、下手するとスピリチュアル界隈をかすめることになる恐れもある。いろいろあるんですな。たかがブログのくせにね。
もし両親の仲が良い家庭で育ってて、さらに人生設計の機能がまともに培われてたら、結婚したいと思ったかなあ? それはそれでまたわからん議題だ。本当は結婚したらどうなるんだろ、って想像するのが前向きで良いんだろうけど、今やってみたけど取っ掛かりが掴めなくて無理でした。イメージの歪みが是正されてもマイナスがゼロになるだけで、プラスのインプットがないのだからアウトプットの生まれるはずがない……。
これまた逆に考えよう。足りてない脳の機能を総動員して、一生独身でいることってどういうことなんだろうって想像しなくちゃいけないな。どうなんだろ、実際。一人になるんだな、ということしかわからない。家庭を持った友人らとは徐々に疎遠になる。両親は先に死ぬ。新たな友人もできるだろうが、加齢とともに自由に会うことは難しくなるだろう。経済的にも体力的にも。で一人になるんだろうな。
それは今現在一人でいることとは全く質の違うものになるだろう。今は楽しいし好きだけど、寂しいしつらくなるんじゃないだろうか。ハマれるコンテンツもなくなっていくんじゃないかな。よく独居老人のインタビューでそういう感想見るよね。あれが私の末路なのでしょう。独居老人のみなさま、末路呼ばわりしてすみません。決して見下しているわけではありません。でも自虐の道具に使ってごめんなさい。
老後の孤独を想像するのは結構怖い。それ、自己肯定感うんぬんかんぬん自覚する前のあの孤独感を越えてくることはあるのかな? あの底なしの絶望、恐怖、羞恥、消滅願望、あれを越えてくるというなら相当のものですけど。めちゃめちゃ怖いよな。正直今ならそこら辺の仕組みは完璧に理解しているつもりだから、かかって来いやくらいの気持ちでいるけど、将来土下座するかもね。こっちが間違ってました。ナメてました。老後の孤独の圧勝です。すんませんした!!って。それ笑えるな。このブログ、そのときまで存続するかな? この記事読み返してどんな反応するか自分を見てみたい。
でも怖いからって結婚することはできないんだよな……。結婚も怖いし。理由がある側の人間になってしまった以上、結婚する場合は理由を乗り越えなくてはいけない運命を背負ってるわけで。
結局、流れに身を任せる他にできることはないのだなあ。みんな流れに身を任せた結果、結婚したり離婚したりしているのでしょう。一生独身でいることになっても、その流れが自分の現世でのルートだよということで受け入れるしかないんだろう。うわあ、年々運命論者になっていってるよこの人!
一生独身でいる覚悟を決めて、今の自由気ままな生活を100%楽しむのが、一番得だな。コスパならぬタイパならぬ、ら……ライフパフォーマンス? ライパ? なんかそういう考え方で良いんじゃないか、もう。いかにライパを上げるかの効率厨。怖いけど、怖さを持ったまま覚悟決めることは不可能じゃなかろう。
ああ、怖い怖い。めっちゃ怖い。みんなに置いてかれてく。って日々戦々恐々としながら、独身生活楽しい……コンテンツ全振り……ってやってても良くないか。良いじゃないかそれで。そんで友人知人から新たに結婚や出産の報告を聞くたび、体験できないルートの人生に思いを馳せて惨めな気持ちになって、持ってる怖さが泣いて暴れ出すのに途方に暮れれば良いじゃないか。そうして怖さと一緒に暮らして、いざ独居老人になって孤独の本番が来たら、そうだ、この記事の答え合わせだと思えば良いじゃん。寂しすぎて耐えられなかったら死ねば良いじゃん。
それで良っか。ていうか、それしかないか。
別にそんな真剣に生きる必要ないんだよな。一生独身でいることになったら、自分にも他人にも、はい? これが現世で割り振られたルートなので、引き受けてるだけですけど?くらい言えるようにしたい。それを一番下に敷いたあとで、怖いだの寂しいだのやりたい。その下敷きの有無で180°変わるわ。
一生独身です。一生独身。いーっしょーどーくしーん(読経) 楽しんでいこうじゃないか。怖がっていこう。